今更ながらCoccoについて語る。
私は「遺書。」でCoccoに出逢った。
友達がカラオケで歌ってくれたこの歌に、物凄い衝撃を受けた。
なんという歌詞。なんというメロディ。
思わず泣きそうになったけれど、友達の前。
それはこらえた。
次の日すぐに「ブーゲンビリア」を買いに走った。
聴いてみて、鳥肌が立った。
呆然とするしかなかった。
幼かった私には、世の中にはこんな音楽が存在する事すら知らなかった。
そしてこんな歌を作る人が一体どんな人生を歩んできたのか
興味を持った。一体何を見て、何を感じ、何を体験して今に至るのか。
ネットで検索したら、一番上に出てきたサイトは今は無き「赤い雨路」様だった。
確か公式サイトより上に出てきたように記憶している。
赤い雨路様の情報量は膨大だった。私は片っ端から読み漁った。
Coccoが歌の中で使っている沖縄弁の意味まで書いてあった。
サイトデザインのクオリティの高さといい、Coccoへの愛の深さといい
あのサイト様を抜きにCoccoは語れない。大好きなファンサイトだった。
6年間の運営をし、閉鎖にいたったわけだけど今もきっとどこかで
管理人のさやかさんはあっちゃんの歌を聴いてるんじゃないかな、なんて
希望的観測をしてしまう。そうだといいな…。
未だにmixiには「赤い雨路」のコミュニティが存在している。
さやかさんの築き上げてきた「愛」は
今も皆の心の中で生きている。
もちろん私の心の中にも。
さて、昔のCocco(この場合は活動休止する前のことを指してます)と
今のCocco(復活後のCoccoの事をさす。)明らかに違いますよね。
昔の彼女の歌は狂気に満ち満ちた愛を歌った歌が多かった。
「愛する人を殺したいくらい愛している」
「私が最後をむかえる時はあなたの手で終わらせて」というような。
そんな内容の歌だから、彼女が歌を歌う時の姿はすさまじいものだった。
長い髪を振り乱しての腰からのヘドバン(腰からだからヘドバンって言うのかな?;)
シャウトも狂気じみていた。あの頃のライブに一度も行けなかったのは本当に悔しい…。
一度でいいからトランス状態の彼女のライブが見たかった。
きっと目を開けているだけで精一杯だろうけど。
そして復活してからは、ザンサイアンというアルバムを出した。
この頃まではプロデューサーが根岸孝旨だった。
それが今回のアルバム「きらきら」からプロデューサーが長田進に変わった。
これがファンの間で物凄い波紋を広げた。
長年のCoccoファンはネギの方が良かったといい
昔からのファンでも長田プロデュースも好きだという人も多数いる。
何より狂気じみてた頃の復活前のCoccoの方が良かったというファンも多い。
カリスマがあった、とか天才じみてた、とか。
そういいたくなる気持ちは分からなくは無い。
私も昔のCoccoの歌は本当に凄かったと思ってる。天才というか、もう
歌ってる時に何かが乗り移ってるかのようだったから。
でもCoccoの中で歌に対する考えや感じ方が変わった事を知っているから
私は今のCoccoの歌も大好きだ。
昔は「痛みを排泄する行為が歌う事」だった。
今は「音楽はお料理。」
これだけ変わったのだから音楽性が変わるのは当たり前。
「きらきらしたアルバムが作りたい!」ってあっちゃんが選んだ人が長田だった。
それだけの事。
人は生きてれば変わるんだよ。
私達だって毎日何かしら変わっていってる。
それをアーティストにだけ「変わらないで」と求めるのは(…求めたくなる気持ちは分かるけど)
間違ってると思う。
あっちゃんだって、私達と同じ人間。神様な訳じゃない。
結局なんだかんだと長々と書いてきたけれど
私はCoccoという人が幸せでいてくれればそれでいいのだ。
彼女があの笑顔で笑っていてくれればそれでいい。
その時その時に産まれる彼女の歌が聴けるだけであたしは幸せなの。
だって活動休止してた時は新しい音楽すらもう聴けないかもしれなかったんだよ。
それに比べれば今はなんて幸せなんだろう。
みんなそれを忘れちゃいけないよ。
戻ってきてくれただけであたしは嬉しい。
彼女の性格、感性、歌声、人間性、生き様、笑顔が好きだから。