Sanctuary*

育児と編み物と音楽と。 日常の事を綴ってます。

Cocco20周年(物凄い長文ですよ)

Cocco(以下あっちゃん)が今年活動20周年ということで。

途中活動休止してた期間もあったけれど

もうそんなに経ったんだなぁと

時間の流れを感じます。

高校生の頃からあっちゃんの音楽を聴いて生きてきたので

彼女の音楽活動20周年というのは

大袈裟かもしれないけれど、私の人生の20年を振り返るのと同義というか

そんな感覚すら持っています。

それくらい、どんな時も一緒に生きてきた音楽達です。

過去の音楽達を聴けば、あの頃の自分の記憶や感覚が蘇るし

今現在の音楽を聴けば、今の自分とリンクする。

こういう人と出逢えた事、同じ時代に生きられた事が

本当に幸せだと心底思っています。

こういう事語りだすと気持ち悪いかもしれませんが(笑)

それくらい、今も昔もあっちゃんと、彼女の音楽が好きです。

10代後半から20代の頃は

例えると…なんて言ったら良いのかな

裸で、やまない針の雨の中を

ただ目を見開いて歩いてる、みたいな

そんな感覚でした。

いつも、降りしきる針の雨から自分を守る術も分からずに

服も着れずに剥き出しで、その針の雨を受け止めていました。

痛くて痛くて堪らないから、どうにかして痛みを止めようと

たまに必死の思いで傘をさしてみたりするのだけれど

その傘はあまりにも脆くて、いつも簡単に壊れてしまう。

誰かがさしてくれた傘で、雨をしのいだりしたこともあったけど

結局は自分の傘じゃないと意味が無い事に気付いたりして

なんとかして新しい傘をさしてみても

結局すぐ壊れて、また剥き出しで針の雨を受けていた。

足元にも無数の茨がはってて

裸の私にはとんでもなく痛くて、痛くて。

いつも血まみれのままの私は

痛い痛い、どうしてこんなに生きてるだけで痛いんだろう

他の人は皆楽しそうに笑ってるのに

私はどうしていつもこんなに痛いんだろう

皆どうやって生きてるの?と

いつも思っていた気がします。

そんな日々の中でも、自分が立つ暗い道の先には

いつも小さな光が射してた気がして。

その小さな光が何なのか確かめたくて

光の場所までどうしても行ってみたくて

諦めきれずに

ずっとずっと、生きてきました。

私が針の雨を一身に受けていた時

彼女の音楽は、私の感覚とリンクしていた気がして。

『似た嵐の中を、生きている人がいる』

それはもう、本当に自分勝手で一方的なシンパシーだったとしても

十分すぎるくらい、私にとっては力となり、勇気となり、支えになりました。

『苦しいのは自分だけじゃない』

そう思えたのは、大きな支えだったと思います。

降り続く針の雨で血まみれになりながらも

光に向かって歩いていく途中

やさしい人たちや、大切なもの、愛すべきものたちと出会い

私を支えてくれました。

そんな愛すべきものの中に、【音楽】があったのは間違いないと思っています。

いつの間にか私に降り続いていた、針の雨が止んで

痛みも感じなくなった今

偶然同じように

彼女も嵐を抜けて、穏やかな光に包まれている気がして

(またもや本当に一方的に、そして自分勝手に私が解釈しているだけだけど)

お互いよくこの嵐の中、生還出来た…と

心底嬉しいと思っていたりします。

それこそ、戦友だと勝手に思ってます。

本当に一方的にだけど!

いつだかあっちゃんが

「幸せな人生だと思う」と

言った事があって

私はそれが本当に嬉しくて、泣きました。

私もこれまで、本当に痛くて苦しかったけれど

今は心底幸せだと思って生きていて。

同じようにあっちゃんも今幸せだと感じられていることが

本当に嬉しい。

あっちゃんが幸せでいることが、ファンにとっての一番の幸せです。

本当にね。

20周年、あっちゃんの軌跡を

一緒に祝える事が嬉しい!

ライブには両日参加致しますゆえ。

しっかりと心臓に刻みつけておきたいと思ってます。

そして最後に…

『あっちゃん』という呼び方

もう本当はもう変えた方がいいのかもしれないなーとも思うのですが

ずっとあっちゃんって呼んできてしまっているので

今更変えられない…Coccoちゃんとか呼べばいいんだろうけどね。

こっきーとか番長とか(笑)色々呼び方はあるけど

結局あっちゃんと呼んでしまう自分がいる。

どうかご本人が嫌がっていませんように(=ω=;)